わたしのアイドル_田原成貴
ぼくはブログは、1000文字以上書くように心がけています。また3000文字から4000文字くらいがある程度の内容を記載するに適正な長さではないかなとも思います。とは言え、近況と馬券予想は、必然短くなると思います。
さて、ぼくが競馬を始めた頃は、武豊騎手もオグリもデビュー前でした。
競馬新聞とスポーツ新聞で漢字や日本語を覚えた!というと嘘になりますかね。その頃は、福音館古典童話シリーズとか偕成社のシャーロックホームズ全集を卒業して、岩波文庫の緑背表紙を読み狂っていた時期でした。
中学に入って、中国史や世界各地の神話を経て、卒業式直前にドストエフスキーと出会ってしまう訳です。高校時代は、3年間で1000冊以上の本を読みましたが、大学に入り毎年そのくらい読みましたかね。おかげで視力を大分持っていかれ、背も大学在学中に3CM、卒後後3CM伸びましたね。
閑話休題。
ぼくの人格形成に明らかに大きな影響を与えたものは、ドストエフスキーの著作とガンダムでした。一方、アイドルとして会ったことさえなくても、その言動やファッションを真似て、同様にぼくの人格形成に大きな影響を与えた人物は、田原成貴でした。
破綻するやん。ワテクシ。
田原成貴の話になると、少しが文体が変わってしまうよ。
恰好良かったなあ。大レースで何かしでかしてくれるような期待感を抱かせ、こう馬上でも絵になった。トウカイテイオーの奇跡の復活有馬記念もいいけどさ。
やはりフラワーパークのスプリンターズSが、彼の演出したレースの中で一番好きだ。
手綱をしごき、鞭を振るって前に前に、押すのではなく。
田原は、フラワーパークの手綱を短く持ち替え引きおった。「矢は弓を引いてこそ遠くまで飛ぶ。」「ゴムまりは一旦縮むからこそ大きく弾む」みたいなことを彼はよく言っていた。
それをGⅠでやれるもんかね。
わずか1CM差で分けた勝敗。
競争生命を犠牲にして、直線大きな不利を挽回したダンスインザダークに屈したロイヤルタッチ同様、エイシンワシントンも普通にGⅠ馬になるべき馬だったよ。
あんな大人になろうと、子供ながら思っていた。おかげでぼく自身も随分損もしたけど、大事にしてくれる人々も得た。敵もいつもたくさんいた。
今、若い人たちに何か残すために、ぼくは田原成貴的なものを卒業する時期にきているかもしれない。だから恰好つけるのは辞めて、「自由でいたいのさ」とはもう言わない。
田原さんよう。あなたは、馬とは折り合えた。けど人とはどうか?
あなたを慕っていた後輩たちもいいおっさんになったけどね。ぼくもすっかりおっさんだ。
田原成貴は、騎手時代、たしかにファンタジスタだった。しかし同時にファンタスタであり、彼自身が最も彼自身の演出する夢のような瞬間に酔っていたのだろうね。
文体は、次回から元に戻ります。