【血統読解】シーイズトウショウの17_父ジャスタウェイ_父父ハーツクライ_③サンデーサイレンスの選択
サンデーサイレンスの話をしよう。
平成最後の年に、今はもういないサンデーの話を。
一対一という条件で、ライオンとサンデーが戦ったら、サンデーが勝つと言ったら?
サンデーを知らない人は、そんな馬鹿なと笑うかもしれません。
しかし仮にそのライオンが、動物園やサファリパークで育ったとしたら?
いや、野生のライオンだとしても、そのライオンは何と戦った経験があるだろうか?自分より強いとされるモノと戦った経験はあるだろうか?
それでも、サンデーサイレンスを知らない人は、ライオンに勝てる訳がない。食べられてお仕舞いだと言うことでしょう。
しかし、サンデーを知る者、サンデーと戦ったことのある者の見解は違う。
(もちろん断言できる者は、少ないとしても)もしかすると、サンデーならばやるかも知れない。
そして、多くの者は、断言することでしょう。
サンデーは、たとえライオンと戦うことになっても只ではやられないと。
仮に、首筋にライオンの牙が刺さっても、サンデーを知る者は言うだろう。
サンデーサイレンスは、ここからが強い。と。
前回まで、
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1986年11月、彼は悪性ウイルスに感染し、激しい下痢により生死を彷徨いました。酷い脱水症状により、酷く衰弱し、23リットルもの点滴を施されました。
まだ1歳にも満たない後のSSは、その生涯に訪れる最初の激戦に向き合っていました。
サンデーサイレンスの血統は、当時の価値基準に照らしても、一部で言われるほど三流ではない。ぼくは、考えます。
少なくとも二流と言って良く、父ヘイローはそこそこ走っていました。当時の主流であるノーザンダンサーやレイズアネイティヴが入っていないのと、牝系が地味ではありました。アルゼンチンの血が入っていて、面白いですがね。
とは言え、サンデーはその血統面でも、評価されていなかったことは事実です。
むしろアメリカで歓迎されなかったのは、馬体かもしれません。
X脚で長い脚、痩せた上半身、黒い馬体。これらのどこまでが生来のものか、生後の経験によるものか分かりませんが、少なくとも当時のケンタッキーでは極めて低い評価を与える馬体だったようです。
さて、死に魅入られたSSは、口にホースを咥えさせられ、身体のウイルスを出し切るという、なるほど理には叶った治療を施されたという話も聞きます。
感謝祭当日、獣医も生産者も、もういい加減にしてくれ。といった感情が襲ったことでしょう。仔馬の死を積極的に願ったとは言いません。
しかし状況からして、まず助からないだろうし、元より大きな期待をしていた馬ではないのです。諦めることは、簡単だったと推定できます。
ところで動物に感情があるのか?難しいところです。感情の定義の仕方に左右されるでしょうか。明確な言語体系を持たない人間以外の動物が、仮に言語に準ずるコミュニケーションの手段を持っていたとしても、ナニカを把握して定義して比較したり分類するかは疑問です。
しかしぼくは、動物にもナニカとしての感情に似たものがあると信仰しています。
だからぼくは、想像するのです。
まだ幼きSSの目に、飯綱が走ることを。
誰も彼も、生物は、Deathには勝てません。勝てないのです。
だからこそ負けないように、生を全うするのかもしれません。
その仔馬は、Deathを退け、留保させ、生き延びました。
病後の彼を所有しようとする者は、現れません。1万ドルなら買うという申し出があった程度でした。
翌年、何度かセリで売れ残ったサンデーは、その日もやはり売れずにカリフォルニア州のセリからの帰途、馬運車で輸送されていました。
Deathは、再びサンデーの前に現れたのです。
馬運車の運転手が、心臓発作で死亡。馬運車は横転。乗り合わせた馬は、全員死亡。
言葉がうまく見つかりません。持ち前の生命力などと言って、果たして正確に表現できているのでしょうか?
自らと他者の血に身体を染め、しばらく真っ直ぐ歩くことすら叶わない状態ながら…サンデーサイレンスは、またしてDeathを退けたのです。
この後、サンデーサイレンスは、西海岸の前哨戦を勝ち進み、同じく東海岸を制覇した良血馬イージーゴーアと米国クラシックで激突します。
無名からのし上がってきた黒い弾丸とセクレタリアトの再来と呼ばれた黄金の戦車の対決は、激闘と呼ぶに相応しいものでした。
種牡馬として、世界の競馬史に類がないほどに、活躍馬を輩出していく様子は、競馬ファン皆の記憶に新しいところです。
2002年夏、11世代目が生まれ、来年には12世代目の産駒が生まれるタイミングで。
サンデーサイレンスは、ていようえんに冒され衰弱して行きました。
日本中から彼へと送られた手紙や千羽鶴
の意味を理解できたとしたら、サンデーは何と言ったことでしょうか?
今から思えば、急速に増えた子孫の数からして、サンデーサイレンスが系統として残るには絶妙なタイミングで。
しかし彼を愛する者たちが、お別れの挨拶をし納得するには早すぎるタイミングで。
サンデーサイレンスは、死にました。
彼の戦いは、子や孫に引き継がれるのです。
サンデーサイレンスは、配合相手の長所をよく引き出すことでも有名でした。
そのため、母父毎にSS産駒は、分類されていたものです。
ハーツクライは、特にその傾向が強いと推定します。
配合相手の父トニービンの特徴をよく伝えつつ、サンデーサイレンスはハイレベルな総合力の維持と内包する米血を託すという役割を果たし、うまく自らやライバルからハーツクライへ種牡馬としてバトンタッチしたと思います。それがハーツクライという子に、サンデーサイレンスが成したことかなあ。
サンデーサイレンス産駒が、欲しかったなあ。
次回
9月1日に埋めます。